プライド&ブラック・ライブズ・マターの歴史
こちらの六色レインボー旗の使用ついては"レインボーフラグの使用についてAbout our usage of the Rainbow Flag"をお読みください。
Please read our post "レインボーフラグの使用についてAbout our usage of the Rainbow Flag" for information about our haphazard and erroneous usage of the symbol.
𝐙𝐚𝐜𝐡 𝐒𝐭𝐚𝐟𝐟𝐨𝐫𝐝『プライドが警察による暴行に対するデモとして始まったことを忘れてはいけない。
最初は
パレードなんかではなかった。』
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文章:Daigo
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プライドが警察による暴行に立ち向かう デモとして始まったことを忘れてはいけない。
「プライド」
と聞いたらどんなことを思い浮かべるだろう。 虹色の旗を振り、街を歩き、 声を高々に種々様々な愛の形を認めようと訴える。
私自身も昨年マンハッタンで行われたプライドパレードに 参加したが、七色のカクテルを配る人、レザーを着こなし音 楽に身を任せて踊る人、恋人、友、そして戦友と手をつなぎ ただただその雰囲気を楽しむ人と、皆笑顔だった。喜々と
した雰囲気に包まれていた。
ただ、忘れてはいけな い。
今や愛、自由、そして個々の人生に祝杯を挙げる、これか らの社会の発展を訴える場となっているプライドがそこに至 ったまでの背景を。そこには、旗も、虹も、笑顔もなかった。 あったのは警察の暴行、勿アコミュニティの悲痛、 そして決死の戦い。
1969年の夏、場所はニューョーク州マい、ッタン に位置するスト=切力Fルというゲイバー。 一」一 6月28日の早朝、8名の警官がそこに押し入り、市民に暴 行を加え、逮捕していった。その時、と言っても残念ながら 今もそうだが、それは日常茶飯事だった。自分のことを理 解してくれない社会。汚物を見るような目で見てくる人々。 そんな苦しい毎日の中、勿アの人たちが 心安らかに話し、笑い、生きることができたのが ストーンウォールのようなゲイバー。
のはずだった。
現実は警察による襲撃の 毎日。
「同性愛を広めていること」
「自分の性にそぐわない恰好をしていること」
を理由に受ける暴行、逮捕。人々の徴憤、痛みは溜ま りに溜まっていた。いや、溢れかえっていた。 全てを始めたのは警察に引きずられていた 一人の女性の叫びだった。
「なんで何もしないの!?」
特に有色人種のトランス女性が立ち上がった。
その先の出来事は私がここ書く必要はない。 あなたがテレビをつけてくれればいいだけだから。
今アメリカで起こっていることをニュースやネットで見て 思うかもしれない。
「なんで平和にデモできないんだろ 「なんで暴力に走るんだろう」 「今の社会が嫌なら投票して変えれ
キング牧師の写真と共に「そこに変化はあれと暴力は なかった」という言葉を添えて平和的解決を求める投 稿をいくつ見ただろう。もちろん、拳一つ上げずデモを 行い、意思疎通を図り、自分の痛みを世界にわかっても らえるんだったら誰だってそうしたいと思っている。
でもあなたは知づでいるだろう競
今まで平和的な手段でデモを行ってきたことを。 SNSには毎日職場学校街中で黒人が受ける差別に ついて投稿されてきた。 警察による不当な暴力にだって再三言及してきた。 コリン・キャパニックをはじめとしたアメフトの選手た ちは膝をついて抗議してきた。 Black Lives Matterだってもう何年も続けてきた。 投票だってしてきた。
その昧何が変わっただろうか。
誰が耳“傾けただろうか。
暴動は一夜にして始まるものかもしれない。 ストーンウォールのように一人の叫びにより始まるも のかもしれない。でもそこに溜まった感情は何年、 何十年、何百年と蓄積されたもの。そこで掲げられる 拳は何百、何千、何万と失われてきた命、そして何年、 何十年、何百年と無視され、ないがしろにされてきた 歴史を握りしめたもの。 やっと社会はその声を聞いている。 やっと社会は見ている。
応援しよう。支援しよう。戦おう。 いつか共に旗を振り、手をつなぎ街を歩けるために。