Birthed in tokyo japan by an ambitious and unique group of individuals.

b.g.u. is a queer and intersectional feminist zine/collectivE.

B.G.U.は東京生まれで、

クィア|インターセクショナル|

フェミニストのジンであり、

個性的な人たちの集まり。

男にとってのフェミニズム

男にとってのフェミニズム

フェミニズム」という言葉を聞くと、どんなイメージを思い浮かべるだろう。僕は最初、「女性のことが好きな人」っていうすごく漠然とした印象を持ってた。きっと、当時テレビでやってた「ジョニー・ブラボー」とか、「金色のガッシュベル」のパルコ・フォルゴレのイメージが色濃かったんだろう。でもそのうち、テレビやネットなどのいろいろなメディアを通して少しずつフェミニズムっていうものと触れる機会が増えて、「女性にもっと権利を与えるもの、男性と同じ権力を女性が獲得するための運動」という認識に自分の中で変わっていった。「自分の中で」って言うけど、この印象ってきっと世の中の多くの人がフェミニズムに対して抱いているものなんじゃないかなって思う。リンカーンの有名なあの言葉を借りると、「女性の、女性による、女性のための運動」っていう印象が強いと思うんだ。だからきっと「フェミニズム」という言葉を聞くと男性はちょっと引き気味になってしまうんだと思う。現に自分が昔そうだったから。「女性のものだろ?男の俺は関係ないよ。」別に嫌悪感は抱かないし、応援はするけど、結局そこまで。大きなサッカーの大会を控えてる友達がいて、自分はあんまりサッカーに興味ないし、「頑張って」ってとりあえず言っておけばいいや、っていうのと似たような気持ち。正直、つい最近までそんな感じだった。

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じゃあなんで、いきなりこの雑誌に携わって、おぼつかない日本語で記事を投稿してまでフェミニズムを広めたいって思うようになったのか。「自分の娘が差別されるのは許せないから」「大好きなあの女の子が差別されるのは嫌だから」「それが正義だから」。確かに、最初フェミニズムに強く共感し始めたのはそんな気持ちがきっかけだったっけな。もちろん、その気持ちは今でも強く持っている。でもその気持ちはどこか他人ごとで、他人任せで、「何かあったら僕の大切な人を差別したやつを一発殴ってやろう」ぐらいの事後対応的な気持ちにしかならないし、なにより、フェミニズムの本質のほんの半分しかとらえてないな、って思うんだ。もう半分は何かって?男性のほうだよ。
まずちょっと考えてほしいんだ。本当に男ってそんなに生きやすいか?いや、いいから一回落ち着いて聞いてくれ。「レディースデーや女性専用車両は女性特権だ!」なんて馬鹿げたことは言わないから(一応なんで馬鹿げてるか説明しておくと、前者は映画館の商業的戦略でありその存在自体が「女は仕事をしないから水曜日の真昼間から映画を見に来るだろう」という女性差別的な考え方がうかがえるし、後者は痴漢対策のためにやむなく設置されたもの。女性専用車両が嫌なんだったら痴漢をなくしてみろ!ってこと)。手始めにこれを考えてほしい。本当にすべての男性が、100%自分の意志で一家の稼ぎ手になっているのだろうか、ということ。確かに、女性に対する「女は家で家事育児、働いたとしても事務職」のそれとは比べ物にならないのかもしれないけど、確実に男性に対する「男は外で働け」という社会的なプレッシャーはある。わからなければ、「主夫になりたいんだ」って言ってみればいい。怪訝そうな目、「かっこわるい」、「女々しい」なんて言葉がきっと待ってるだろう。なんで「女子ごはん」は無いなのに「男子ごはん」なんて名前の番組があるんだろう。「女はこうしろ」の裏には「男はこうするな」、「男はこうしろ」の裏には「女はこうするな」がある。この、「こうしろ」「こうするな」がなければいいじゃないか。

この考え方こそがフェミニズムの根幹にあるんだ。土方になりたい女性、CAになりたい男性、専業主婦になりたい女性、商社でバリバリ働きたい男性、ウルトラマンが好きな女性、裁縫が好きな男性、プリクラが好きな女性、カードゲームが好きな男性。何があったっていいじゃないか。今まで性別に強く結びつけられてきた職業や服装、趣味などを、どんな人でも楽しめるようにする。「男の子らしい」、「女の子らしい」なんていった、いつしか社会が勝手に決めやがったそんな「~らしい」をぶち壊して、粉々にして、唯一残るものを「自分らしい」にしてやろうっていう運動。女でも、男でも、だれでも、みんなが「生きやすい」社会を作っていこう、ということ。それが、フェミニズムの本質。

ここまで言えば、「確かになんとなくよさそう!」ぐらいには思ってもらえてるだろうか。じゃあ、その「なんとなくよさそう!」を「いやもうフェミニズムやらなきゃやばいっしょ!」に変える話を少ししようか。

いきなりだけど、「死にたいな」って、本気で思ったこと、ある?急に重い話になったけど、すごく大事な話だから我慢して聞いてね。なんでそんなことを訊いたかっていうと、「死にたいな」で止まることができなかった男性が2016年だけで日本に21000人以上もいたんだ。この数字じゃいまいちピンとこないかもしれないから、もう一個言うよ。20歳から44歳の日本の男性の死因の第一位ってなんだと思う?なんとなく流れでわかるかな。そう、自殺なんだ。交通事故や病気など、外因的なものじゃなくて、「もう死のう」っていう能動的で、内因的な死因が一位なんだ。もう、悲しくてどうにかなっちゃいそうだよね。自殺大国である日本の自殺者の約7割が男性なんだ。なんでそうなっちゃうんだろう。実は、この数字が意味することは二つあるんだ。一つは、いまだに日本では家父長制が根強くはびこってるってこと。不平等に責任が配分されていて、よってそれに伴うストレスの配分も不平等になっているっていうこと。責任あるポジションにつきたくてもつけない女性からしてみれば贅沢な悩みかもしれない。そりゃ、不平等に配分された責任の上に胡坐をかく男だっている。でもそのしわ寄せを受けている人たちもたくさんいる。負っている責任に到底見合わない給料で苦しむ中間管理職、なんてよく聞く話だ。もう一つが、「男らしさ」っていう考え方の存在。自殺を防ぐのに一番といっていいほど大切なもの。それは、歯を食いしばって突き進める精神力を身に付けることでも、疲れを感じない強靭な肉体を作り上げることでもない。誰かに自分の気持ちを打ち明けること。なぜか、「苦しい」とSOSを出すと「弱音を吐いた」「女々しい」「弱虫」なんて言われてしまう。言われなくても、「言われるかもしれない」「そう思われるかもしれない」という恐怖感がある。そんな恐怖感を男性が無意識に持つまでにもうまく社会は「男らしさ」というものを刷り込んできたわけだ。皮肉にもそんな風に男を虐げている社会の半分が男だ。助けを求めず、死を選んだ男が何人いたんだろう。今日、命を絶とうと決断した男が何人いただろう。そりゃ、抜本的に「死にたい」と思う原因をなくせればいいさ。でも、そう思ったときに助けを求めにくい社会なんて糞喰らえだ。命よりてめえの腐った美談のほうが大事なのかよ、ってわけさ。

ガッシュベルがどうとか言ってた頃からだいぶ遠いところまで進んできたね。僕が今フェミニズムについて言いたいこと、言えることはこれ。フェミニズムは女のためのものじゃない。フェミニズムはみんなのためのもの。自分らしく生きたいのに生きられない人のためのもの。自分らしく生きている人のためのもの。自分らしく生きたくても生きられない大切な人が周りにいる人のためのもの。そして何より、この記事を読んでくれている君のためのもの。

Chambers, Andrew. "Japan: Ending the Culture of the 'honourable' Suicide." The Guardian. Guardian News and Media, 03 Aug. 2010. Web. 14 June 2017.
"Suicides in Japan Fall Sharply in 2016 (News)." Nippon.com. Jiji Press, 20 Jan. 2017. Web. 20 June 2017.

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女子力-Girl Power-

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愛の革命~reLOVEution~

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