リベラとインタビュー後編: 黒人であること、その交差性、そして私の自己成長
今回のインタビューでは2年間(2021年、2022年)にわたって、リベラと様々な話をしました! 黒人でない人が黒人コミュニティのために何ができるのか、アイデンティティーの交差性について、人種差別が日常の中でいかに蔓延しているかなどを語ってくれています。
インタビュー:: 森本優芽(B.G.U.)
翻訳:奈津美、松野ケリー
校正編集: 高野千春
写真撮影 カレラ・マラ・ラフィナン(Karella Mara Raffinan
アシスタント:マヨ(B.G.U.)
インタビューの質問や写真のコンセプトはリベラと対話をしながら考えたコラボレーションです。
英語バージョンは下のボタンから!
2022
Y:リベラ、久しぶり!一年ぶりに話すけど、最近は何に関心があるの?
L;大学院に進学することもあって、メンタルヘルスについてすごく考えるようになった。あと、性的同意の重要性と、日本での性的暴行の横行について、勉強したり話したりする機会も何度かあったかな。
最近は大学院のことで頭がいっぱい。修士論文では、日本においてミックスの思春期の子どもがどうボディイメージを形成するかについての質的研究を行う予定。去年も言ったように、思春期は健康的なボディイメージを持つのに重要な時期。質的研究を行う予定だから、持論を持ち込むべきじゃないのはわかってるけど、個人的にミックスの思春期の子どもは自分のボディイメージに不安を抱きやすいんじゃないかと思う。もちろん、これはどの人種にアイデンティティを持つか、どんな生い立ちかによっても変わってくるだろうけど。
私自身が思春期だった頃を思い返して、自分に対してどんなボディイメージを持ってたっけ?って考えてた。この研究は個人的に思い入れが強いものになりそう!
性的同意については、自分自身がトラウマと向き合って、感情を少しずつ整理するようになってからずっと考えてる。日本で性的同意についての認識を広めようとすごく努力している人たちを知っていて、その人たちからはいつもたくさんの刺激を受けながら学ばせてもらってる。でも、知れば知るほど、日本の性教育を改善するためにやるべきことが山ほどあるんだと痛感する。私が自分が性教育を受けたときも、身体の自己決定権についてもっと学べていたらよかったのにって思う。
Y: 去年会ったとき、スポーツにおいてどう黒人選手が世間から見られているかについて話してくれたよね。去年日本ではあの…恐ろしい…オリンピックが開催されたけど、この話題について何か考えていることはある?
「お前は黒人だからスポーツができるんだろう」みたいな言説を目にすると、やっぱり悲しくなる。今までの私自身の努力を否定されたように感じるだけじゃなく、私以外のブラックやミックスの選手の努力も否定することにつながるから!
東京オリンピックを通して感じたのは、社会に役に立つと思われたときだけ、都合よく黒人コミュニティが利用されるんだということ。私自身、大坂なおみ選手は大好きだし、素晴らしい選手だと思うけど、日本が黒人コミュニティを守るための策を全く講じていないにもかかわらず、オリンピックでは日本の印象を良くするためだけに彼女を利用していることに、とても苛立ちが募った。スポーツは大好きだから、スポーツ自体を純粋に楽しめたらいいのにっていつも思う。でも、オリンピックのようなスポーツの祭典は、やっぱり政治的に利用されてしまう部分がある。あと、オリンピックで目にした文化の盗用にも、とても腹が立ってる。平野歩夢、あなたの行動に傷ついている当事者がたくさんいます!ほんと、よくオリンピックにドレッドロックスで出場できたね?!
彼がやんちゃとか素行が悪いって思われている理由の一つに、ドレッドをあげて説明している人をネットで見かけた(平野が尊敬している人がドレッドだった+その人が大麻で捕まった+平野もドレッド→彼の素行が悪い?)。彼自身はかっこいいと思ってドレッドをしてるのかもしれないけど、それが原因で黒人の当事者たちにかえって悪影響を及ぼしている(ドレッド自体のイメージが悪くなる)事に気づけてない時点で黒人コミュニティに対して「リスペクト」が無い。
彼がスポーツの才能に長けている事を否定するつもりはないけど、彼がメダリストになった今、オリンピックムードの中では大々的に髪型に対して抗議できない雰囲気があるのも事実。当事者の私たちがこんな葛藤に苛まれているのも(少なくとも私は)彼の無責任な行動に原因があると思うし、それを容認している周りもどうなの?と思ってしまう。
きちんと敬意を払っているかどうかって、とても大事。もし私が平野歩夢と知り合いだとして、私が彼に「ブラックの文化にきちんと敬意を払っているの?」と聞いて、彼が「うん」と答えたら、彼がドレッドヘアをするのを強制的にやめさせることはできない。でも、その質問をされた瞬間に言い訳なんかしはじめたら、彼はもう弁解の余地が全くないよね。
ドレッドヘアをしたいならまず最初に、「黒人ではない人間として、なぜ黒人の髪型をしてはいけないのか?」について考えることから始めるべき。ドレッドヘアをすることがなぜ特定の人を傷つけることに繋がってしまうのか、時間をかけて自分で調べてみることが重要だと思う。
「敬意(リスペクト)」というざっくりした言葉は、文化の盗用があったとき、それを正当化するために使われてしまいがち。私にとって「敬意」とは、きちんと自分の時間をとって黒人やそのコミュニティの文化について学ぶこと。マジョリティ側の人間は、時間と労力をかけて黒人について知る努力をするべきだと思う。
Y:「敬意」って単なる「好き」とは違う。
L:その通り。2000年代初期に日本でヒップホップの人気が高まったとき、ヒップホップが普及するにつれて、日本における黒人に対する見方が変わっていった。
それまで日本人は、黒人の肌の色や髪質など、単に身体的特徴に基づいたステレオタイプを持ってた。ヒップホップが流行ってからは、黒人の「ヒップホップ」っぽいスタイルを真似したいと思う人が急増した。
そして今でも黒人の文化は良いように利用されてしまっている。「自分の好きなように黒人の文化のいいとこどり」をしている人が多い。
もちろんヒップホップは黒人の文化の中でとても重要なもの。でも、ヒップホップだけが黒人の文化の表象になってしまっているなら、それは大きな問題。もしヒップホップだけに「敬意」を払っている人がいるなら、それは表面上だけのものを見ているにすぎない。
この点において、私は「黒人文化が流行ること」に懸念を抱いてる。黒人の人にとって、好きな時だけ黒人でいて、別の日には黒人以外の何かになる、なんてことはできない。なのに、いつも黒人という概念のうち、ほんの一部分にすぎない「分かりやすい」側面だけが流行してる。大抵黒人でない人たちの間で流行するのは、黒人の中でも明るめな肌のトーンや、細いウエスト、そして大きなお尻とか。
一方で、イギリスの「Vogue」がモデルの肌をより暗く見せる撮影をしたけど、それもモデルをより奇妙だったり、性的に見せるためだったり、つまり自分とは「違う」存在だと強調するためだけにやったとしか思えない。
Y:その他に話していた内容で、ブラックの女性らしさが「過度に性的化」そして「エキゾチック化」されていることについても語ったよね。あなたにとって、そして社会にとって「美」をめぐる考え方は、ここ一年で変わったと思う?
髪:黒人の髪と文化的なヘアスタイルは前より少しだけ受け入れられるようになったと思う。けど、この受け入れに向けた動きによって、テクスチュアリズム(髪質至上主義)がより際立つようになったのがわかる。偶然今の私の髪の毛は、新しい「美しさ」の基準に近いカールの形(たぶん、アフロだけじゃなく髪の毛を伸ばすこともできるし)だから、自分の髪はまだ「いい髪」の方だと思われているのじゃないかな。カールがきつかったら人に何て言われるんだろう、と思う。
体型:去年、私の体型のタイプを「ブラックの人の身体つきだ」と人から認識されることがあると話をしたけど、何人かに言われたのは、「あなたの体は曲線美があって、胸も大きいしお尻も大きいね」って。こうゆうコメントは私自身のイメージに対してネガティブに大きく影響してる(正直いまだに影響されてしまう)。人が私に興味を示したとき、それは私が持っているもの(黒人の体型)が好きだからなのか、それとも実際に私自身に惹かれているのか疑う。
大きな胸は大題に様々な文化で女性らしさのシンボルとして祝福される。だけど、大きなおしりを持つことに関しては、評価が混じっているみたい。BBL(ブラジル・バット・リフト)ボディの時代では、私の体型が美しさの基準だったような気がした。 (自分が美しさの基準だって言うのは正直気が進まないけど、確かに私は一時的でも「構築された理想」に近かったと認識している)。だけど多くのアジア諸国と、さまざまな時代の中で、大きなおしりを持つことが「太っている」ことと紐づかれている。(「これこそがファットフォビア‼」)
あと「ブラックフィッシング」についても考える。ブラックフィッシングとは、Wanna Thompson(ワナ・トンプソン)によって作られた用語。 「黒人女性は、西洋の美の基準を推進するメッセージをメディアから絶え間無く浴びせられている…伝統的な『白人主義的な美しさ』の基準を持っているとされている特権のある女性が、黒人性を都合よく取り入れて使っているときに特に思い知らされるのは、ブラックの人々の一側面は望ましいとされるけど、それらを兼ね備えた黒人女性自身は望まれないということ」とトンプソンは書いた。
トンプソンによるこの言葉は、黒人性が都合よく使われることを分かりやすくまとめてくれている。この引用文は特に白人女性について言及しているけど、他の人種(東アジア人も含めて)にも当てはまると思う。
ニキータ・ドラゴンはブラックフィッシングの女王。ニキータは都合よく、肌色を濃く見えるように変えて、「人種が曖昧」に見えるように黒人性を利用している。それにも関わらず、黒人が直面するようなネガティブな影響を受けることなく本物の黒人女性が社会の中で得るべきポジションを奪っている。彼女は黒人女性であるかのように自分を見せつつも、黒人であることの影響を完全に対処しなくてもいいくらい人種のあいまいさを(メイクで)保っている。
正直、本当にみんな自分に利益があるときだけ「黒人の人が好き」だよね。自分が得するときにしか黒人の要素を取り入れないということが、どれだけ実在する黒人の人々から様々なものを「奪い取っている」のか、分かっていない。。
黒人性が「流行って」も黒人を助けることにはつながらない。だって、いつもほんの小さな部分の「黒人らしさ」しか「祝福」されないから。つまり、最終的に特定の要素しか社会からあがめられないから、黒人以外のマジョリティによって勝手に造られた「都合の良い理想的な黒人らしさ」に当てはまらない黒人たちを結果的に傷つけることになる。社会が決めた勝手な理想に当てはまる人も、当てはまらない人も、みんなにとって過ごしやすい社会にならない限り、自分達の存在が認められている/尊重されているなんて思える訳がない。
Y :.また、美容業界において、特に東アジア諸国で「(肌の)白さ」が理想化されていることについても言ってたよね。
L:今はちょこーっとだけ、よくなったかな。お店が、例えばメイベリンみたいな海外ブランドを扱っている場合は、濃い色合いの化粧ラインを置いているけど、それでも東アジア圏では本来販売されている全ての色合いを置いてないから、私たちより濃い肌の子たちがどうしているんだろう…と思う:(
私の場合も、日本のブランドで自分の肌の色に合うメイクを探そうとしても、いまだに見つけられる確率はかなり低い。
Y:私たちは日々美容業界やメディアなどを通して、「美の基準」を浴びせられている訳だけど、本当だったら何をもっと目にしたい?大人になるまでの過程でどんなことに触れていたら救いになっていたと思う?
L:ボディイメージについての定義はたくさんあるけど、ボディイメージについての研究の多くで、その人を取り巻く環境(文化やメディア、所属する社会的な輪など)がボディイメージの形成に大きな影響を与える、というような同様の視点を展開している。
思春期は、ボディイメージの発展において最も重要な時期の1つで、その時期に人は身体的、社会的、そして心理的な変化を経験する。これらの避けられない変化と折り合いをつけていくためにも、自分の身体に対して良好なイメージを持つことは、とても重要になる。
当時の私は、自分の身体に対して健全なイメージも持っていなければ、自分の身体や自分自身のイメージと「健康な付き合い方」をしていなかった。だから、もしあの当時、もっと自分のブラックさを尊重してくれるようなインクルーシブで多様な環境で育っていたら、どうなっていただろうと考えてしまう。
Y: リベラにとって、インクルーシブで多様な環境とはどのようなものだと思う?
私のすごく漠然とした答えだけど、「多数派の視点からではなく、少数派の視点からも物事が代弁されている環境」。去年、ツイッター上で生物学の教材の画像を見たんだけど、妊婦さんの画像で、しかも黒人女性だった。教科書の中で私の肌の色を見たのは初めてだった。それだけの小さなことでも、大きな違いをつくっていくと思う。あとは、多様なバックグラウンドを持った教師がもっといれば、それも私にとってはすごくよかっただろうなと思う。
メディアの中であらゆる人種の肌の色、髪の質感、肌色の濃さとか、あらゆるものを持っている人を見ることができたらいいのにな、と思う。社会からおくられてくる特定の理想(ヨーロッパ中心主義志向のことね)を消すことができれば、最高だと思う。
Y:去年、人を常に「教育すること/教えてあげること」が、どれほど疲れることかについても話したよね。今、それについてはどう思う?
この1年間、差別的な表現/行動を見るたびに、声を一つひとつにあげることは不可能だって気がついた。私もまだ学ぶことがたくさんあるし、すべてを知っているわけではない。
常に、人種差別を指摘して教える立場にいなくて良いことは、頭では理解してる。それでも「先生」の立場に立たされる圧力を、常々周りから感じているのも事実。私が「教育」をしなかったせいで誰かがまた人主差別に傷つけられたら、私個人が悪いわけではないのに責任を感じてしまう。
BLM運動の真っ只中、重点が置かれていた考え方の一つに、「黒人の人の言葉に耳を傾けること」があった。それ自体は素晴らしいと思う。でも、私は、人がそれを文字通り、表面的に捉えている様に感じた。確かに、歴史上黒人の人の声に社会は耳を向けようとしてこなかった。実際に良い聞き手になるには、ただ「聞く」とか、受け身で「聞く」だけではダメ。理解をするために、思いやりを持って、学ぶために耳を傾けてほしい。それは簡単にできるものじゃないかもしれない。相手を尊敬/尊重することとも関連することだと思うし、どちらも簡単にできることじゃないかもしれない。だからこそ、実際に行動をとることが非常に大切!みんなそれに気づく必要がある。(実際、本当に人が私たちを尊重している/聞く耳を持っているかどうかなんて、簡単に見抜けちゃう)。
Y: この一年を振り返って、自分にとって誇りに思うことは?また日本の黒人コミュニティや、日本の黒人女性を取り巻く状況について、何か新しい気づきや洞察を得ることはあった?
去年も言ったように、黒人女性として日本で暮らすことは簡単ではないけど、私たちは他のみんなと同様に価値がある。私たちは美しい。
個人的に、日本にある黒人コミュニティはとても素敵だと思う。ソーシャルメディアのおかげで、ますます多くのブラック/アジア系ブラックの人たちと繋がることができた。ほとんどの人が互いにとても協力的なところも好き。
去年から、ブラック女性としての自分の特権をますます実感してきた。私の肌の色が薄くて「いい髪」を持っているということが、この社会で何かしらの意味を有するのは理解してる。だから、私は自分のブラック女性としての特権を理解した上で、この特権を利用して認識を広めたい。これは私が黒人コミュニティのためにできる最小限のこと。私は自分の特権を使ってコミュニティを助けたい。
前に一人で電車に乗っていた時。ドアのすぐ隣に立っていたら、プラットホームの反対側に2人の黒人の人たちがいて。そうしたら、私を見つけた彼らは、私と全く面識がないのに、満面の笑みで私に手を振り始めたの。手でハートサインまでつくってくれて。たとえそんな小さなことでも、このコミュニティの中にどれだけの愛があるかを示してる例だと思う。