Birthed in tokyo japan by an ambitious and unique group of individuals.

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B.G.U.は東京生まれで、

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 シューカツの不自由

シューカツの不自由

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シューカツの不自由

作:Kotone

就活ナビサイトのカウントダウン時計が00:00を指した瞬間、一斉に企業の採用情報が解禁された。3月1日に日付が変わったばかりだというのに、人気企業の会社説明会は予約争奪戦が始まり、私を含め、全就活生が正式にスタートラインから走り出した。

 

日本の就職活動には独自の暗黙のルール、疑問だらけの畏まった空気が顕著に表れている。従わないと内定をもらいにくいのも変な話だ。本当はバカバカしいと思っていながら従っている人も多くいる。私もその中の一人であったし、就活中に「自由」について一人でたくさん考えた。

私にとっての「自由」とは、「選択肢と選択権があり、その選択権を行使できて、さらにはその個人の選択に対して偏見や抑圧がないこと」。これをとても簡単な例を使って説明すると、学校で「自由」に絵を描く課題が出されたとする。そこで、青色の色鉛筆で太陽の絵を描いたとする。このように即して「自由」とは、「太陽は暖色を使って描きなさい」という指示(抑圧)がなかったり、青色の太陽に対して周りが誰も批判(偏見)をしなかったりすることである。


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では、日本の就職活動は「自由」だろうか。

労働人口不足で比較的内定をもらいやすい、就活がしやすい、と言われる今の時代でも、「自分の描く未来を叶えるための手段」として機能するべき就職活動の本質が見失われていると思う。なぜなら、その体系に様々な外的要因による、あらゆる不自由が潜んでいるからだ。

例えば、正式に就活を始められる日時が決まっていることや、学歴フィルターによって優秀な学歴を持っていないと選べる会社の幅が狭まれてしまうこと、さらには「新卒」として入社する価値が誇張化されていることや、やりたいことよりも企業のネームバリューが重視されてしまうような社会的風潮などがある。まさに先ほど言った選択権、選択肢の不自由、さらには抑圧や偏見が、日本の就活というシステムにはびこっているのだ。

 

私が一番疑問を持ち、無意味だと感じた就活の不自由は、就活生の服装である。

高校の同期と久しぶりに集まることになっていたある日、就活を終えてからの参加だったため、私はスーツを着ていた。コートは母のお下がりである黒いロングコート、鞄はいとこの就活用の黒い鞄を使っていた。すると、スーツを販売する洋服店で働く友達が私の恰好を見て、こう言った。「このコートやめた方がいいよ~。トレンチコートの方がウケいいよ!」それから私の鞄を見て、「ちなみにね、鞄にはあんまりゴールド入ってるとよくない」と。数ヶ月前までの不安に駆られていた他の就活生も、こういった言葉、就活ノウハウ情報に影響を受けてスーツやらコート、靴、鞄を選んだのかと考えると、ため息が出る。

なぜ就活生は皆同じ格好をしなければならないのか。私は女性だから、黒髪、黒いリクルートスーツ、前髪は黒ピンで留めてポニーテール、ラメは使わずアイラインは跳ねさせないナチュラルな化粧、ベージュのトレンチコート、黒い皮のヒールに四角い黒カバン。この全身セットが模範とされている。

なぜ、面接で問われることは人格や価値観、または能力なのにも関わらず、外見をこのレベルまで揃えなければならないのか。この時期になると、町はベージュのトレンチコートを着てコツコツ歩くポニーテルの女の子で溢れ、クローンかと思ってしまう。

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「このコートやめた方がいいよ~。トレンチコートの方がウケいいよ!」

確かに第一印象は大事だ。礼儀正しい格好をすることは必要で、髪の毛は綺麗に束ねてある方が清潔感があるし、アイロン掛けしてあるスーツの方がしっかりしてそうに見える。靴もピカピカに磨いてある方が細かいことにも気がつける人だと思われるかもしれない。だからこそ、カタチは大事だ。でも、カタチが自分のプラス要素になるかどうかは、結局自分の表情や話し方、経験など、内面的な事柄次第。人事の方々に出会う度、企業はそこまで見ていないと言っていた。服装や化粧を頭からつま先まで「お手本通り」に揃える必要性は全くないし、実はそこまで重要でもない。

私は、ラメの入ったアイシャドーも使ったし、トレンチコートも着ていない。髪の毛だって低いポニーテールではなくハーフアップだった。説明会で周りが模範的全身セットで来ることが予測できたからこそ怖くて躊躇ったこともあるけれど、「服装:自由」と書いてあればTPOを考えた服装で行った。それでも面接は通るし、むしろ畏まりすぎす、ありのままの自分をアピール出来たと思う。

私自身が就活している時、単純に「なんでスーツ着なきゃいけないんだろう」とか、「なんでみんな同じ格好なんだろう」だとかの不満が最初にあって、あまり深く考えずにリクルートスーツ反対派だった。でも、この記事を書き進めていく内に、別にリクルートスーツを着ること自体がダメなんじゃないなって思えるようになった。それよりも、上から下まで全て揃えなければいけない、自分らしさを消してまで周りに合わせなきゃいけない、と思ってる就活生だったり、それを黙認することで助長している社会や企業に訴えかけたいと思った。

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自分らしさを消してまで周りに合わせなきゃいけない、と思ってる就活生だったり、それを黙認することで助長している社会や企業に訴えかけたいと思った。

日本の就活には服装の不自由以前に見直さなければならない根本的な問題がたくさんあるけれど、それらは結局政府や国が関わってくることだったりしてなかなか難しい部分がある。でも、服装の不自由さなら個人の意識や心持ちからでも変えていくことができると私は信じている。模範的全身セットが安心と自信を持たせてくれるならそれでいいし、頭からつま先まで身なりを揃えることに違和感を感じるなら、そうしなければならない理由はどこにもない。様々な不自由とストレスを抱える就活生が、せめてそういった小さな所で、少しでも胸を張って就職活動が出来るような社会になってほしいと強く願う。

自分らしさ、つまり『ナカミ』をより自信を持ってアピールするために『カタチ』があることを忘れないで欲しい。服装も、就職活動も、正解にするのは自分自身だから。
 

PHOTOGRAPHY BY AYUMI IGARI

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Oh boy:  ファッションと女性らしさ

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始まりの日

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