Birthed in tokyo japan by an ambitious and unique group of individuals.

b.g.u. is a queer and intersectional feminist zine/collectivE.

B.G.U.は東京生まれで、

クィア|インターセクショナル|

フェミニストのジンであり、

個性的な人たちの集まり。

B.G.U.というフェミニズムとクィアの道 

B.G.U.というフェミニズムとクィアの道 

Yumeの記事がShado (Shadoとは See, Hear, Act, Do、の頭文字をとったアート、アクティビズム、アカデミアの交差点で変革を推進するマルチメディア・プラットフォームです)に掲載されました。下記が日本語バージョンです。新年を迎えて、またB.G.U.について振り返り、今後の活動理念を考え直す機械になりました。ぜひ読んでください! また、B.G.U.で過去に掲載された記事が追ってShadoに掲載されるそうです。そちらも順番でSNSにリンクを載せます。


B.G.U.の始まり〜私の道はどこ?

沈黙は金。政治の話はもちろん、心の痛みなんて口に出さない方がいい。黙って、みんなと同じ道を突き進めばいい。そう言われ、私は育ってきた。でも、私は疑問に思った。他の人に歩幅を一生懸命合わせて、大衆の圧力に押しつぶされそうになりながら、真っ直ぐ駆け抜けたその道の先には「幸せ」があるの?途中で出世しそうな男性を捕まえて、子供を作れば私は幸せになれる?とんでもない。私は子宮が「奇形」だから子供を作るのは困難だし、とてつもなくクィアですけど。 

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自分らしく生きたい。自分の道を切り拓きたい。でも、こんな家父長制、異性愛主義が蔓延した社会でどうやって自分らしく生きて行けばいいのか。どうやって社会に敷かれた激混みの一本道から抜け出せるのか。他の道はないのか。そんな難問の答えを探求するために、フェミニスト団体やクイア・コミュニティーへと目を向けた。

そこに私の居場所はなかった。フェミニスト団体で見つけたのは、社会的/政治的/法的に認められている「日本人」であり、シスジェンダーであり、異性愛者であり、「いい教育」を受けた、「健常者」ばかりだった。彼女たちが求める平等は、特権を持った女性たちのための運動に見えた。レズビアンやゲイのコミュニティでも許せない問題に直面した。トランス差別、女性蔑視、人種差別、ルッキズム、能力主義等、様々な差別や偏見を目にした。

どうして差別されている人が他の人の差別に加担できるのか?理解できない。他の人の道を塞いででも、自分の道を突き進みたいのか?

そんな中、私の中にある気持ちが芽生えた。「私みたいに迷子している人や、自ら道を切り拓こうとしている人のために作りたい。」「日本の社会や、既存のフェミニストやLGBT スペースや団体に当てはまらない人のために、自分らしく生き続けるための鍵になる何かを作り上げたい。」そして、友達数人と共に政治について、 そして今まで抑えてきた痛み、生み出したい社会の変化について、全てをさらけ出した文章を綴った。それがやがてB.G.U.になった。

B.G.U.の変化〜道は常に「ストレート」じゃない

今はあらゆる差別をなくすために戦う。でも正直なところ、最初は違った。初めの頃は、自分たちの経験についてひたすら書いているだけで、視野もすごく狭かった。自分たちが実際に経験した偏見や差別を無くしたくて、言葉を綴った。でも、そのうちB.G.U.のコミュニティーが大きくなり、色んなバックグラウンドを持つ人が加わってくれた。自分たちを見直す機会と、自分たちの中で内在化された偏見や差別とも闘わなければいけないと気づいた。

それの一例として、B.G.U.というタイトルの背景がある。B.G.U.は”Be自由”の意味を持っている。当初は 「Boys, Girls, United」の頭文字と言う意味も込めていた。コミュニティーが大きくなるに連れて、男女(Boys,Girls)だけではなく多様なジェンダー自認の人たちのために、共に戦いたいと思い、今はあらゆる人の自由を求めて、タイトルは「Be自由」だけの意味を表している。

B.G.U.は、共に新しい知識を身に着け、また同時に固定観念を取り払う場である。進化し、成長し続けるために自分たちの特権や過ちを認め、振り返ることを辞めない。

クィア、インターセクショナル・フェミニスト、コレクティブで紙媒体のジン〜それってどんな道?

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B.G.U.はインターセクショナル・フェミニスト*ジンである。女性や性別のジェンダーノンバイナリーの人が日々直面する不公平や抑圧は様々な形をとり、多数存在するから、我々はインターセクショナル・フェミニズムを提唱する。後は、クィア。B.G.U.では、クィアとは単にLGBTQIA+を包括するアイデンティティの名称だけではなく、実践的な意味も持つと考える。クィアとは有色人種、トランスジェンダー、セックスワーカーであるアクティビストの先人たちの広大なる歴史とパワーを抱擁している言葉である。クィアなZINE・コレクティブであることを宣言することによって、既存の組織や制度には従わないことを意図的に主張する。現存する抑圧的な構造や組織を解体する(deconstruction)こと、そして脱植民地化 (decolonization) にコミットする。B.G.U.は、すべてのクィアのために、そして、すべての抑圧に反対して活動している。

B.G.Uは無料で英語と日本語のバイリンガルなジン。あらゆる人の手元に届いて欲しい。あらゆるものが収益化され、デジタル化されたこの現代世界で、メディアも権力者やマジョリティーが作り上げてきた土台にある。その構図を解体すべく、B.G.U.は自分たちの言葉で、自分たちの方法で、自分たち自身を表現したいと思う。 

*インターセクショナル・フェミニズムとは、「様々な形の不平等がしばし一緒に作用し、互いを悪化させているのを可視化するための視点」です。1989年にキンバリー・クレンショーが初めて生んだ単語がインターセクショナル(交差性)です。

B.G.U.の今

有名ブランドや大企業が突然流行りかのように扱い始めた、「ジェンダー」、「クイア」、「LGBT+」「フェミニズム」、「平等」等… クイアやフェミニズムを単純化し、美化していることが多いと感じる今日この頃。「扱っている」だけで、表面上で見せる「エンパワーメント」メッセージの裏には、差別的な構造に加担し、内に向けては全くエンパワーメントや平等なんて考えずにいるところも。もちろん、大きなブランドや発信力があるということは、多くの人の意識を変える力は持っている。でも、多くの場合、搾取的な資本主義的構造の中でのフェミニズムやクィアネスは「綺麗に」されてしまう。複雑で未解決の、「醜い」部分は決して見せない。

確かに美しい。社会で定められた「美しさ」ではなくて。女性やジェンダーノンバイナリーの人が手を取り合い、共に創造し、共に立ちあがり、家父長制やあらゆる差別と戦うというのは時に涙が出るほど美しいと思う。でも、その美しい部分だけを利用して、もしくは社会で既存する「美しさ」に塗り替えてまでして、その中にある複雑な問題を「売れる」ものに変換していくこと。それは運動や思想を商業的な利益のために利用しているだけ。なんか自分たちの道をジェントリフィケーションされた気分になる。

だから、B.G.U.では醜い部分こそどんどん見せていきたい。暴力や差別、女性やジェンダーノンバイナリーの人が直面する数知れない不平等ーー特にその中でも移民、黒人、先住民、トランスの人々、セックスワーカーなど、社会全体に見捨てられてしまう人々。フェミニストやLGBTQIA+のコミュニティーの中でも、人種、民族、ジェンダー、障害、階級、宗教、性的志向によって存在する差別......。これらの 「醜い」部分は有名な企業やブランドには剥ぎ取られ、「綺麗」な部分のみが商品化されていく。「男女平等」を掲げ、プライド月間にはロゴや壁は虹色に染められ、フェミニズムやクィアが美化され、利用され、売られ、消費されていく。

「フェミニスト」と胸元に書いてあるティーシャツを着て、LGBTフレンドリーなんて言っている場合じゃない。これまで以上に、我々は自分を表現し、交差性やクィアネスを体現する必要がある。クィアな人、女性やジェンダーノンバイナリーの人は「エンパワーメント」の小道具ではない。繰り返しになるが、B.G.U.は、東京を拠点に活動する、クィアであり、インターセクショナるフェミニストであり、無料のバイリンガル・ジン。B.G.U.とは複雑なもので、簡単に説明することはできない。自由であり、流動的であり、定義できない。飲み込みやすい、可愛い、消費の対象じゃない。B.G.U.は常に変化し続け、自分たちのクネクネした何本にも枝分かれする道を切り開いていく。





リベラとインタビュー前編: 黒人であること、その交差性、そして私の自己成長

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B.G.U. on Chime For Change

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