Birthed in tokyo japan by an ambitious and unique group of individuals.

b.g.u. is a queer and intersectional feminist zine/collectivE.

B.G.U.は東京生まれで、

クィア|インターセクショナル|

フェミニストのジンであり、

個性的な人たちの集まり。

Artist Profile | マヤ

Artist Profile | マヤ

自己表現の仕方は十人十色。

B.G.U.では、インスピレーション溢れる様々なアーティストに焦点を当てていきます!アーティストから受けるインスピレーションが、様々な形で私たちを突き動かすと私たちは強く思います。

次のゲストは、イラストレーターであり、スケーターであり、先生でもあるマヤ @oneinsilence さんです。文化とアイデンティティの関係性、日本でノンバイナリーであること、BLMを支援するための新しいプロジェクトなど、様々な話をしました!

まずは最初にマヤのことについて教えてくれますか?現在何をしているか、どこに住んでいるか、英語のプロナウン(代名詞)等、いわゆる「 自己紹介」をお願いします。

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 こんにちは、マヤです!プロナウン(代名詞)はThey/Themです*。アメリカ合衆国オレゴン州のポートランド出身で、2016年夏から日本に住んでいます。現在は新潟の田舎にあるいくつかの小学校で英語の先生として働いています。教えている小学生は何よりも自分の一番の先生です。生徒たちから逆に常にインスパイアされて、元気をもらっています。毎日子供たちからいっぱい学んでいます。仕事外ではビジュアル・アーティストとして活動しています。趣味は絵を描くことです!あとは、スケボーと茶道もやっています!

 *英語で「They」を「単数」「ジェンダー中立」な代名詞として使う。SheやHeではなく、“They went to the park”=その人は公園にいった、等

マヤと日本の関係・繋がりについて少し教えてもらえますか?どうして新潟?

 血の繋がりがあります。自分は日本とインドのハーフです。両親は現在もアメリカに住んでいる日本人移民とインド人移民です。母は日本で生まれ育ちました。子供の頃、毎年夏になると母の故郷である新潟を訪れてました。自分は祖国を知りたいとずっと思っていたため、上智大学への留学を決意しました。その時から、いつかまた日本に戻ってきて暮らしたいなと思っていて…そうしたら、JETプログラム**に合格し、奇跡的に母の故郷の近くで働くことになったんです!運命みたいな出来事でびっくりしました!

 **JET プログラムとは、語学指導等を行う外国青年招致事業(The Japan Exchange and Teaching Programme)の略で、外国青年を招致して地方自治体等で任用し、外国語教育の充実と地域の国際交流の推進を図る事業です。

マヤは多文化的アイデンティティーを持っているけど、これは日本でどう捉えられますか?多文化的アイデンティーはどこに行くかによって捉えられ方は変化するものですか?

 小さい頃から自分のアイデンティティーの正当性について考えることが多くありました。多文化的な家庭で育った自分には「故郷」がないと感じることさえありましたね。アメリカでは周りの白人家族とその生い立ちにあまり共感することができず、その中だと自分は「アジア人すぎる」と言われることがよくありました。一方で、親からは「アメリカ人すぎる」と言われ続けました。特に悪い意味で言われていなかったかもしれないけど、そう言う言葉を聞くと寂しい気持ちになります。家族の中でも、多人種でありながら、アメリカ生まれなのは自分だけ。他に気持ちを共有できる人がいない中、2つのアイデンティティーを持たなければいけないのはなんだか寂しい重荷でした。

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日本では自分が「ハーフ」であることは理想化され、美化されます。

ー多文化的アイデンティティーを持つことについて

自分の文化に繋がりたいとずっと思っていたけど、インドや日本に家族旅行をしても、完全に共感できることはなかったです。いつも何かの違和感を感じました。自分はいつでも外国人すぎたり、日本人すぎたり、アメリカ人すぎると感じていました。今も日本で暮らしていてそう感じています。なんとなく溶け込んでいるからといって、自分はアメリカ人なのに「純ジャパ」扱いされることはよくあります。でもそれは逆に、日本特有のエチケットや社会的規範、文化がわからないといけない、というプレッシャーを感じることに繋がっています。自分は日本出身ではないことや文化的にわからない事も多いことを理解してくれたらいいのになと思うことがあります。

多文化的なアイデンティティを持つ事で、羞恥心を感じることもあります。家で日本料理やインド料理を食べること、家の中ではいつもスパイスの香りが漂うこと、親の外観やなまりは恥じるべきことだと感じました。白人文化に溶け込む社会的プレッシャーを感じていました。

日本では自分が「ハーフ」であることは理想化され、美化されます。二か国語話せることや顔立ちなどを羨ましがられることがあります。実際は、これらのことがまさに偏見に繋がり、自分の苦労した経験の原因でもあります。いつも複数の世界の間に引き裂かれている感じです。自分のアイデンティティーや人種の中で故郷を見つけたいけど、本当に故郷と感じた場所はどこにもありません。今では、多文化のアイデンティティーであることは自分の美しい一部だと思っています。世界のどこにいるかによって、アイデンティティの捉えられ方が変化することは自分にとって強みだとも思っています。自分は好奇心溢れる、ミステリアスで、ユニークな、魂として世界を行き渡っているような気がします。

マヤの性自認、ジェンダー表現について教えてもらえますか?表現の仕方は国によって変化しますか?

 自分はクィア(queer)とノンバイナリー(nonbinary)、日本語ではXジェンダーです。日常生活の中では中々オープンにこれについて言及できないから、外見はいつも中性的な格好や表現をするように心がけています。自分について静かに大声で主張しているというか。。。自分を守るために、公共の場では少し女らしくフェミニンにしたり、自分のアイデンティティについては信頼しているごく一部の人にしか話さないという意味では静かです。でも、自分は身に付けるものや自己表現を通して、常に世界に本当の自分を見せているつもりです。そういう意味では大声で表現しています。

正直いうとカミングアウトは何回しても、どんなに仲良い友達でも、すごく勇気が必要なことです。毎回すごく無防備で、裸になった気分になります。日本では、LGBTQ+とは何を表しているか、どのような存在なのか、ということについての知識や理解がまだ限られていて、オープンに会話をすることは難しいし、アメリカみたいにあまり話に出てくる機会がないです。アメリカでは認知は進んでいて、どんどん話されるようにはなっています。日本では「出る杭は打たれる」ということわざがありますよね。この言葉が頭から離れない。日本で出会った友達の多くに「人生でマヤのような人に会ったことがない」と言われます。その人たちが知っているクィアでノンバイナリー(Xジェンダー)の人が自分だけだと思うとすごく怖いです。自分は「はみ出し者」だと思われたくない。クィアやノンバイナリー、Xジェンダーの人はそんなに「珍しい」者じゃない。

友達と自分のアイデンティティについて正直に話して、オープンな会話ができたときは本当に嬉しくて幸せな気持ちになります。相手の見解と自己認識が一致して、自分を守ってくれて、サポートしたいと思ってくれるということ以上に嬉しいことはないです。

アメリカでは、自分のような人たちが少しでも自由になれるように自分のアイデンティティについて声を大にしていました。苦しんでいる人たちに、一人じゃないというために、いちいちカミングアウトしていました。自分のジェンダー・アイデンティティについてカミングアウトしたとき、その後6歳年下の人が初めてカミングアウトしてくれたのはマヤだったと言ってくれました。大学3年生の時に、一年生が「クィアで、同時にスピリチュアルに自分らしく生きているマヤに感謝してる」と言ってくれたこともありました。今までたくさん声を上げ、自分に勇気を与えてくれたクィアな人たちに感謝しています。その人達のおかげで今の自分がいると思っています。まだ自分のセクシャリティーやジェンダーに対して悩みを抱いている人たちや次世代のクィア達に愛と力をいつでもあげたいです!

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『自分のセクシャリティーやジェンダーに対して悩みを抱いている人たちや次世代のクィア達に愛と力をいつでもあげたいです!』

新潟のスケートボードカルチャーってどんな感じ?そのコミュニティでどのような経験をしてきましたか?

スケボーしているときは、自分自身と繋がって、自由になれる時間です。自分のジェンダー・アイデンティティに関して葛藤していた自分を救ってくれたのもスケボーです。人生の重荷から心を解放してくれたのがスケボーでした。

 スケボーを始めた頃は、一人で滑ることが多かったです。少し離れたミニランプハウスに通って、スケボーに没頭しました。 シスジェンダー・ヘテロセクシャル男性***が大多数を占めている趣味を始めることに不安はたくさんありました。でも、実はスケボーを始めたその日からウエルカムされました!スケボーは趣味というよりも、生活の欠かせない一部になっていきました。

***シスジェンダー:生まれたときに割り当てられた性別と自分で認識している性が一致している状態や人のことです。(Job Rainbow Magazine より)

ヘテロセクシャル:異性愛者

 ここ1年間を通して、新潟の小さいコミュニティで多くの人に出会ってきました。ある日夜に一人で駐車場で滑ってたら、高校生のグループが声をかけてきて、「一緒にすべろう!」と誘ってくれたこともありました。他にも一人で滑っていると、スケボー歴が自分の年よりも長いようなスケーターたちと仲良くなることもありました。今まで築き上げてきた関係はどれも自分に大きな影響を与えています。スケボーを通じて知り合った人たちは、最高の友人です。ファミリーのような仲間もできました。スケーターはお互いどこかで必ず繋がっているような、狭い世界です。どこのスケートスポットに行っても、少なくとも一人は知っている人が必ずいるって最高だし、アットホームな感じがします。

新潟のスケボーコミュニティーには本当にいろんな人がいます。年代もレベルも様々です。子供、10代の若者たち、社会人や大人、初心者からベテラン等、様々な人がいます。すごく感じがよくて、チルな人たちばかりでお互い切磋琢磨しながら教えたり、応援したり、学んでいく感じです。スケートカルチャーはお互いのバックラウンドや言語や年の壁を破ってくれます。そういった違いを超えて、スケボーをしながら、楽しい時間を共有できます。

スケボーは教えている生徒に何か影響を与えていますか?そんな話をマヤから聞いたことあった気がして。。。

授業の色んな場面でスケボーについて話しているので、生徒はみんな自分がスケボーが好きってことを知っています。その中でも特に嬉しかったのは、生徒が先生の話をきっかけでスケボーを買うためにお金を貯めたと言ってくれた時の話です。彼女がその話をしてくれて以来、いつか生徒と一緒に滑ることが夢でした。

あとは、スケボーを通じて、今の生徒や昔の教え子と繋がることができました。自分がよく滑る川沿いの隠れたスポットがあって、今では若者たちで人気のスポットになっているんだけど、ある日、そこで昔教えてた子達に会いました。その後は毎週のようにその場所で会っていた時期もあり、自分のスケート仲間と一緒にその子をちょっとしたスケート旅にも連れて行きました。そういった小さなつながりが、大切にしている思い出です。スケボーがみんなを繋いでくれるものだと思うと、すごく嬉しく、暖かい気持ちになります。それがスケボーの不思議で魅力的なところです。

自分がスケボーの中で一番素晴らしいと思うのは、人に希望を与えてくれるということです。学校で苦労している子、不登校になった子、社会から引きこもった子を知っていますが、そんな子たちがボードを手に入れて、スケボーを大好きになっていくのを見てきました。その子達にとってスケボーは、朝に起き上がって家を出れる力の源がになっていました。その子たちにモチベーションや自信を与えてくれるのは全てスケボーのパワーです。初めて一緒に生徒とスケボーした子もそうでした。その心の変化を目の当たりにした時、自分の心が喜びに包まれました。スケボーは本当にあなたたちを救ってあげたんだなと思いました。社会に中々馴染まない、「出た釘」をいつでも応援したいと思っています。本当に社会の「出た釘」に愛が溢れます。

 今マヤが取り組んでいることは?

はい!!現在、自分はブラック・ライブズ・マター(Black Lives Matter)の運動を支援するために友達と協力してアートを引き換えに寄付を集めています。反黒人思想は世界的に様々な形で蔓延しています:マイクロアグレッション(microagression)***や警察による暴力、特定警戒地区指定 (redlining) ****などの問題が例として挙げられます。日本にいるとアメリカで起きている抗議運動やデモに物理的に参加できないのが悔しいです。

今やっている寄付プロジェクトでは、アートを引き換えに賛同者に黒人コミュニティ団体への寄付をしてもらいます。つまり、アートを依頼されて、自分が制作するんですけど、支払いの代わりに寄付をして、その証明を見せてもらう。つまり、利益は自分にきません。今まで依頼された人が寄付した団体はNational Bail Out、Black Lives Matter Global Network、Black LGBTQIA+ Migrant projectなどがあります。寄付金の領収書に加えて、その人が反人種差別 (anti-racism)に積極的に取り組むためにやれることや、白人至上主義と戦うために継続的にできること/していくことを明記した文章を送ってもらうようにしています。

***マイクロアグレッション:何気ない日常の中で行われる言動に現れる偏見や差別に基づく見下しや侮辱

****特定警戒地区指定:その地域の人種構成などによって特定地域を他の地域と区別することである。

Black Lives Matterを支援する寄付プロジェクトの作品

Black Lives Matterを支援する寄付プロジェクトの作品

このアート寄付プロジェクトをやることによって、人を思いやる気持ちや他の人の立場で考えるということの重要性を痛感しています。自分がBLM運動をどうサポートできるか考えるために、ドキュメンタリーを見たり、インタビューを見たり、黒人アーティストの音楽を聴いたり、アート作品を見たりして、自分自身を見つめ直しています。。有色人種ガールズスケーターの映像を見たり、「13th(13th 憲法修正第13条

)」や「When They See Us(ボクらを見る目)」のような黒人の経験に焦点を当てた映画を見たり、「The Roots」や「Common」のようなヒップホップバンドやラッパーを聴いたり、「Kehinde Wiley」のアートを見たり、公民権運動でLGBTQ+の権利のために戦った活動家である「Marsha P. Johnson」の人生について振り返ったりしています。

こうすることによって、今まで自分がいかに白人に支配されたメディアを消費してきたに気づかされました。あと、このプロセスを通して自分自身が内在化した人種差別的思考と向き合うことができます。自分の教え子を含め、周りにも情報や考えを共有し、BLMについて話すようにしています。話すトピックも、ラップの起源や産獄複合体(Prison Industrial Complex)*****の産業複合体など、様々です。。社会改革や社会運動は周囲の人々と話すことによって始まると思っています。

*****産獄複合体:これについてはアンジェラ・デイヴィス著の「監獄ビジネス」を読むといい。

あなたにとって自由とは何ですか?(BGUの一大質問!) 

これについては答えよりも疑問の方が多いです。自分にとっての自由とは、自分が自分らしく生きるということです。自分が一番自由だと感じるのは、自分に正直に、他の人に遠慮なく自分らしく過ごせて、周りもオープンに自分を受け止めてくれていると実感できた時です。自由とは、ありのままの自分を受け入れてもらい、自分も他の人をありのままに入れるように受け止めること。自由とは人を見て、人の話を聞いて。人を感じること。それで、抑圧された声に焦点を当て、共にその声を高めること。人が必要としている時に真摯に手を差し伸べて、助けることです。

だから、自分の自由はあなたの自由とも結びついているんです。

そして、自由とは、体系的な抑圧を解体していくことです。現在の世界は自由からは程遠いけど、一人ひとりから溢れてくる愛で自由のために毎日戦っています。

自分にとって、残る質問は

抑圧なしに自由は存在するのでしょうか?

もし自分が最初から自由がだったら、今生きる原動力はなんなんだろうか?

もし全員が最初から自由だったら、人生には意味があるだろうか?

世界中で不平等や差別を受ける人々が多くいる間に、自分は自由になんてなれるのでしょうか?

B.G.U. on Chime For Change

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Artist Profile | Nayokenza Robyn Oliver

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